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ボヘミアン・ラプソディー*Toshl熱唱*フルオーケストラ*圧倒的な歌唱力

★ボヘミアン・ラプソディー*Toshl熱唱*フルオーケストラ*圧倒的な歌唱力
・・・2020.10.20・・・

★Toshl(とし、1965年〈昭和40年〉10月10日 - )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、音楽プロデューサー、コンポーザー、執筆家、画家。ロックバンド・X JAPANのボーカリスト。身長168cm。血液型A型。本名は出山 利三(でやま としみつ)。名前の表記を大文字だけのTOSHIからToshlに変更。

★作家として活動する場合の別名義は「龍玄とし」。最近ではバラエティ番組で使用する場合もある。愛称は「としさん」、「としちゃん」、「としくん」など多数

★YOSHIKIとの出会い〜X JAPAN脱退
1965年10月10日、公務員の父とピアノ講師の母との間の三男として、千葉県館山市に生まれる。YOSHIKIとは幼稚園で出会い、1977年にバンド「DYNAMITE」、1978年にバンド「NOISE」をYOSHIKIと共に結成。「NOISE」ではギターを担当した。1982年にバンド「X」を結成し、1989年にXのボーカリストとしてメジャーデビュー。

★1992年にXの活動を一時休止。同年の4月から8月まで、オールナイトニッポン水曜1部の時間帯のパーソナリティを務める。10月にはソロデビューシングル「made in HEAVEN」を発売し、11月にアルバム『made In HEAVEN』を発売。ミディアムテンポな楽曲を中心とした内容は、「XのTOSHI」というイメージを払拭するものであった。

★1993年にはアクト・アゲインスト・エイズに参加し、日本のフォークソング、ロックのカヴァーを披露した。「アクト・アゲインスト・エイズ」への出演は薬害エイズ事件により同年4月4日に19歳で死去した青年・岩崎孝祥が、生前にToshlを描いた油絵に触れたのがきっかけだった。その後、ナイトホークスと共にソロコンサートツアーを開催。また、ロック・オペラ「ハムレット」にハムレット役で主演。

★1994年にナイトホークスとのコラボレーションで複数のシングル及びアルバム『MISSION』を発売。ギタリストと作曲には後の茶々丸が参加。1995年にアルバム『GRACE』を発売。全曲の作詞作曲のいずれかに携わり、アコースティック・ギターを取り入れたカントリーポップ調の作品であった。ロックスターとして一世を風靡したX JAPANのボーカリストとして順風満帆のように見えたが、後にこの当時を精神的に荒んでいたと回顧している。

 1997年アルバム『碧い宇宙の旅人』を発売。本格的にヒーリングを取り入れた作品となり、この作品を契機に自身の方向性が決まったという。同年2月14日、「ハムレット」で共演したアイドルの守谷香と4年の交際を経て結婚。

★1997年4月、ヒーリング歌手を目指す意向からX JAPANからの脱退を表明し、同年12月31日の東京ドームでのライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」を以って、X JAPANは解散。なお、11月には葉加瀬太郎とのコラボレーション「Toshi&葉加瀬太郎」名義で、シングル「NATURAL HIGH/Love Song」を発売しており、1998年にはアルバム『CANARY(壊れた世界でカナリアは歌う)』を発売。ヴァイオリンとシンセサイザーを大きく取り入れたプログレッシブロック調の作風であった。

★MASAYAとの活動
1998年7月にNHK BS2の番組『世界悠々』に旅人として出演。テーマ曲はMASAYA作曲の「君はいないか」「森と風の旅人」。同年、テイチクへ移籍しMASAYAをプロデューサー/コンポーザーとして迎え、シングル「君はいないか」(作詞・作曲:MASAYA)を発売し、1999年にはレムリアアイランドレコードに移籍し、アルバム『愛の詩をうたいたい』を発売。ロック色は影を潜め、ストリングスをバックとしたクラシカルなヒーリング作品であり、それまでのキーを大きく下げていることなどが特徴。1999年3月より、トーク&ライブの全国ツアー「詩旅」(うたたび)を開催。自身のキーボードやギターなどでの弾き語り形式や、弦楽四重奏をしたがえたクラシックコンサート形式で、MASAYAの楽曲を演奏した。また、この頃からロック系の衣装やトレードマークであったサングラスを止め、ラフな姿で活動。『愛の詩をうたいたい』ツアーの会場は、主にレコード店、老人ホーム、商店街やスーパーであった。色んな場所で歌えることが幸せと話しているが、トラックの荷台がステージだった時はさすがに驚いたという。その後、一部週刊誌に「ToshIは洗脳された」と報道される。Toshl側は自分の利権を巡り、Toshlの実兄が仕掛けた捏造であると主張しているが、兄側はこれを否定している。

★ヤフーオークションにX JAPAN時代のバンドの衣装などを多く出品した。

★2001年、「詩旅〜うたたび」を開始。コンサートの合間には、ボランティアミニコンサートとして学校、地域の老人、障碍者、児童などの福祉施設や、ホスピス、少年院、刑務所等をまわった。「Toshi Healing」としても、国内外(韓国や中国・上海など)のホールやレストラン、地域の各種イベント出演、ディナーショーなどでコンサートを行った[4]。1日に数本、365日ほぼ休みなく、10,000回以上にわたり、様々な場所で公演を行う。全国をまわる中、過去の自分についても深く語り、「心の癒し」の大切さを音楽とMCで伝えた。

 2007年1月、8年間続けて行ってきた「詩旅」を終了。同時に、それと関係した商品の販売も終了。

★X JAPAN再結成〜ソロ活動終了
2007年2月10日、自身のオフィシャルサイトにて、X JAPAN再結成への話し合いを進めていることを明らかにした。YOSHIKIが雑誌のインタビューで「現在のToshlがロックをやってくれるのか」とToshlのメジャー復帰に対して懸念を表明していたが、Toshlは「ロックも癒しの一つとして受け入れる」とコメントした。3月21日にはアメリカ・ロサンゼルス在住のYOSHIKIを訪ね、およそ10年ぶりに共に演奏したことを自身のオフィシャルサイトにて明らかにした。10月22日、X JAPANが再結成。メジャー後期頃の髪型にサングラスといった、解散時とほぼ変わらぬ姿で新曲「I.V.」のミュージックビデオの撮影を行った。

★2008年1月に、Toshlオフィシャルサイトが大幅にリニューアルされ、それまでソロ活動中は一切載ることのなかった「X JAPAN」の文字が掲載された。2月25日にはTOSHI HEALINGとして「愛の詩をうたいたい」「大空を飛ぶ鳥のように」の再録音バージョンを含む癒しの音楽の全18曲4枚組ベストアルバム『TOSHI HEALING 愛の詩をうたいたい』を発売。3月28日から30日までの3日間、東京ドームで3夜連続のX JAPAN復帰コンサート攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜が開催される。4月1日には、ヒーリングワールドからシングル「EARTH IN THE DARK〜青空にむかって」(MASAYAプロデュース)を発売。同曲のインストは、X JAPAN復帰コンサートにてBGMとして使用された。

★4月2日、写真集「EARTH IN THE DARK」(ワック出版)を発売。5月12日には都内で写真集発売イベントに参加。5月4日、「hide memorial summit」にX JAPANのメンバーとして出演。6月11日、「エコ・ハード・ロック」をコンセプトにしたロックバンドTOSHI with T-EARTHの結成をアメーバスタジオにて発表[5]。 同時に同バンドのギタリストとして元PhantasmagoriaのJUNとしゃるろっとの十夜の加入が発表された。6月29日にはドラムとして元La'cryma ChristiのLEVINの加入が、7月1日には、LUNA SEAの真矢が同ツアーの大阪公演、福岡公演、東京公演に出演を予定していることが発表される。7月21日、ベーシストとしてしゃるろっとの琉華の加入が発表される

2008年9月27日と28日に北九州ミュージックフェスタ in 紫川2008に出演。2日間で計4回の公演を行った。2009年10月、肋間神経痛を患い活動休止。

★MASAYAとの決別以後
2010年1月18日、都内で記者会見を開き、レムリアアイランドレコードの後身団体である株式会社ホームオブハート、株式会社ヒーリングワールドから離れた事を発表。妻の守谷香とも離婚調停中である事を明かした[6]。2月2日、2月1日付けでPCサイト「TOSHI STORE SITE」、携帯サイト「TOSHI MOBILE STORE」が開設される。同日より「ありがとうセール感謝祭」と題して「TOSHI HISTORY」「詩旅」「TOSHI DUET」「Toshi with T-EARTH」などソロ活動のCDやDVDなどグッズの記念セット販売が始まる。

★2月8日、新たな公式オフィシャルサイト「武士JAPAN」を開設し、再活動後初のアルバム『武士JAPAN』の発売を発表。また、名前の表記を「Toshl」に変更することも併せて発表[7]。2月24日、赤坂BLITZにてコンサート「Toshl LAST CONCERT"武士JAPAN"」を開催。同コンサートはYOSHIKIがプロデュースを務め、X JAPANのメンバーも参加。自身が書き下ろした新曲や、各メンバーの楽曲を演奏した。アンコールでは、X JAPANの楽曲「Forever Love」「ENDLESS RAIN」を演奏した。さよならコンサートとも呼ばれるこのライブを境にこれまでのソロ活動に終止符を打ち、X JAPANボーカリストとして再始動する。

★2010年7月10日、ザ・リッツカールトン東京 2Fグランドボールルームにて、「第1回Toshl-CLUBミーティング」を開催。新曲を披露した他、サプライズゲストとしてX JAPANのメンバーHEATHとYOSHIKIが登場。

2011年1月24日・25日、ザ・プリンスパークタワー東京にて自身初のソロディナーショー「Toshl Feat.YOSHIKI with 世界の三國 スペシャルコンサート&ディナー〜クリスタルピアノのキミ〜」を開催。4月9日より、東日本大震災の復興支援コンサートツアー「東日本大震災 Toshlチャリティーコンサート」を開催。岐阜県の羽島市文化センターを皮切りに、金沢・大阪・福岡の4都市8公演を行った。

2011年8月18日・19日、東京・芝公園のザ・プリンスパークタワー東京で、YOSHIKIをゲストに招いたディナーショーを開催。ステージではソロ曲「星空のネプチューン」やX JAPANの「Forever Love」など13曲を披露。18日~零れ落ちる光の中で クリスタルな夜をあなたに~ 19日~ ToshlとYOSHIKIと過ごす 華麗なる真夏の夜~。

2011年9月30日、宮城県気仙沼市の松岩小学校、本吉響高校、大谷中学校、地元企業の気仙沼商会を訪問し各地でミニコンサート開催。グランドピアノ、ギター、一輪車等を寄贈した。

2011年10月10日、ザ・プリンスパークタワー東京にて「第2回ファンミーティング 〜星空の集い〜」を開催。ステージでは「春の願い」や「星空のネプチューン」、アンコールでX JAPANの「Forever Love」計3曲を披露。

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12 января 2021 г. 12:05:40
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