10mの大津波と対峙 その瞬間が写真に 太平洋フェリーの“あの日”乗組員の証言〈宮城〉 (22/07/01 18:54)
東日本大震災特別企画「ともに」。今回、お伝えするのは震災当日、仙台港に停泊していたカーフェリーについてです。地震の発生と大津波警報を受けて緊急出航したフェリーは、松島の沖合で大津波と遭遇しました。その瞬間が写真に収められていました。当時を知る乗組員の方の証言とともにご紹介します。なおこのあと、津波の画像が流れます。
仙台と名古屋、そして北海道の苫小牧を結ぶ「太平洋フェリー」。現在、3隻のカーフェリーが就航していますが、いずれも船体の長さはおよそ200m。乗用車およそ100台の他に大型トラックも150台以上積めるため、物流面でも大きな役割を果たしています。
寺田早輪子 アナウンサー
「すごい…船に乗るまでの道のりが長いから…これは大きい船なんだな…」
今回、船の頭脳とも言える操舵室に、特別に入れていただきました。
寺田早輪子 アナウンサー
「失礼します…寺田と申します、よろしくお願いします」
早川題隼(はやかわ みつよし)さん、太平洋フェリーの一等航海士です。航海士には一等から三等まで階級があり、いずれも船長をサポートしながら船の操縦や見張りを行います。さらに、一等と二等の航海士は入港や出港の際には甲板に出て、現場作業の指揮も行います。震災発生当時、早川さんは二等航海士として苫小牧から来たフェリー「きたかみ」に乗っていました。当時、乗客は既に下船し、船内は乗組員だけだったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「苫小牧港から積んできた荷物を全部下ろし終わって、ちょうど地震発生時は部屋で当日は作業がなかったので部屋でそれぞれ休憩をしていた。徐々に揺れが大きくなってただ事ではないと。すぐにブリッジ(操舵室)に来た」
寺田早輪子 アナウンサー
「船が海に浮かんでいても揺れが?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「かなり揺れます。すぐにキャプテン(船長)の指示で、『緊急出航する』と。私がその当時二等航海士、担当が船尾になりますので、開いている船尾のドアを格納するために走っていきました」
船尾のドアを閉めるには3分ほどかかります。いつでも閉められるよう船長からの指示を待つ間、早川さんには焦る気持ちもあったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「ここで作業していると防災無線がずっと入る。船尾に着いた時には『3~6mの津波』。ここで船長からの指示を待っている間に、『6~10m』という数値に変わりました。変わった時が『ここにいたらやばいのかな?』『早く出港するために(船尾を閉めるケーブルを)巻きたいな』という気持ち」
船長の指示で船尾を閉め、再び操舵室へ戻った早川さん。そこで目にしたのは、レーダーに映る大津波でした。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「これは静止画なので止まっているが、この波がどんどん船に近づくスピードが速かった。黄色い点は仙台港から避難する船。当時はかなり船が混み合っていた。他の船がどちらの方へ向かっているというのを船長に伝えながら、船長が最適なコースを選んでいく…。雪が降って視界も悪かった中、その仕事をこなした」
午後3時56分、「きたかみ」は10mほどの高さがある津波の第1波と直角に向き合います。横から波を受けると、転覆の恐れがあるからです。この画像は同じように仙台港から避難しようとしていた愛媛県のタンカーが撮影していました。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「当時、私は…レーダーを見ていたので、ほぼこの位置にいた。第1波はすぐに波が当たったので、通常、窓からは海面が見えるが、この窓から空しか見えなくなる。波をやり過ごしたら、今度はこの窓から海面しか見えなくなるぐらい落ちる」
寺田早輪子 アナウンサー
「ここに立っていられた?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん津波を超える時にはこういう所につかまって…」
ディレクター
「つかまってたのは片手?両手?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん両手ですね、ここにいた三等航海士はここにつかまったり、船長も手すりに…みんな乗組員はつかまっていた」
ディレクター
「普段つかまって操船は?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「台風シーズンはそれなりのうねりの中を走ることはあるんですけども、そういう時にちょっとつかまることはあります。ただ…体を完全に抑えて、津波が来るぞという感じで抑えることはあまりない」
寺田早輪子 アナウンサー
「初めての経験?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「そうですね」
大きな波は合わせて4回、何とか乗り切り、36人いた乗組員は全員無事でした。そのまま苫小牧へと向かい、今度は緊急支援の車両や物資を運ぶ役目を担います。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「港には船が着いた時には、緊急車両がかなりの台数集まっていた。乗組員はみんな1台でも多く、できるだけ早くといった感じですね」
あれから11年が経ち、早川さんは一等航海士に昇格。様々な場面で指揮を執る立場になりました。早川さんは震災を経験したことで船におけるリーダーのあるべき姿を再認識したそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「あの時私が感じたのは、当時の一等航海士や船長が、津波を前にした状況になっても落ち着いて指示を出していた。そういう状況でも平常心を保てるならば、的確な指示が出せるということ」
Видео 10mの大津波と対峙 その瞬間が写真に 太平洋フェリーの“あの日”乗組員の証言〈宮城〉 (22/07/01 18:54) канала 仙台放送ニュースチャンネル
仙台と名古屋、そして北海道の苫小牧を結ぶ「太平洋フェリー」。現在、3隻のカーフェリーが就航していますが、いずれも船体の長さはおよそ200m。乗用車およそ100台の他に大型トラックも150台以上積めるため、物流面でも大きな役割を果たしています。
寺田早輪子 アナウンサー
「すごい…船に乗るまでの道のりが長いから…これは大きい船なんだな…」
今回、船の頭脳とも言える操舵室に、特別に入れていただきました。
寺田早輪子 アナウンサー
「失礼します…寺田と申します、よろしくお願いします」
早川題隼(はやかわ みつよし)さん、太平洋フェリーの一等航海士です。航海士には一等から三等まで階級があり、いずれも船長をサポートしながら船の操縦や見張りを行います。さらに、一等と二等の航海士は入港や出港の際には甲板に出て、現場作業の指揮も行います。震災発生当時、早川さんは二等航海士として苫小牧から来たフェリー「きたかみ」に乗っていました。当時、乗客は既に下船し、船内は乗組員だけだったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「苫小牧港から積んできた荷物を全部下ろし終わって、ちょうど地震発生時は部屋で当日は作業がなかったので部屋でそれぞれ休憩をしていた。徐々に揺れが大きくなってただ事ではないと。すぐにブリッジ(操舵室)に来た」
寺田早輪子 アナウンサー
「船が海に浮かんでいても揺れが?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「かなり揺れます。すぐにキャプテン(船長)の指示で、『緊急出航する』と。私がその当時二等航海士、担当が船尾になりますので、開いている船尾のドアを格納するために走っていきました」
船尾のドアを閉めるには3分ほどかかります。いつでも閉められるよう船長からの指示を待つ間、早川さんには焦る気持ちもあったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「ここで作業していると防災無線がずっと入る。船尾に着いた時には『3~6mの津波』。ここで船長からの指示を待っている間に、『6~10m』という数値に変わりました。変わった時が『ここにいたらやばいのかな?』『早く出港するために(船尾を閉めるケーブルを)巻きたいな』という気持ち」
船長の指示で船尾を閉め、再び操舵室へ戻った早川さん。そこで目にしたのは、レーダーに映る大津波でした。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「これは静止画なので止まっているが、この波がどんどん船に近づくスピードが速かった。黄色い点は仙台港から避難する船。当時はかなり船が混み合っていた。他の船がどちらの方へ向かっているというのを船長に伝えながら、船長が最適なコースを選んでいく…。雪が降って視界も悪かった中、その仕事をこなした」
午後3時56分、「きたかみ」は10mほどの高さがある津波の第1波と直角に向き合います。横から波を受けると、転覆の恐れがあるからです。この画像は同じように仙台港から避難しようとしていた愛媛県のタンカーが撮影していました。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「当時、私は…レーダーを見ていたので、ほぼこの位置にいた。第1波はすぐに波が当たったので、通常、窓からは海面が見えるが、この窓から空しか見えなくなる。波をやり過ごしたら、今度はこの窓から海面しか見えなくなるぐらい落ちる」
寺田早輪子 アナウンサー
「ここに立っていられた?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん津波を超える時にはこういう所につかまって…」
ディレクター
「つかまってたのは片手?両手?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん両手ですね、ここにいた三等航海士はここにつかまったり、船長も手すりに…みんな乗組員はつかまっていた」
ディレクター
「普段つかまって操船は?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「台風シーズンはそれなりのうねりの中を走ることはあるんですけども、そういう時にちょっとつかまることはあります。ただ…体を完全に抑えて、津波が来るぞという感じで抑えることはあまりない」
寺田早輪子 アナウンサー
「初めての経験?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「そうですね」
大きな波は合わせて4回、何とか乗り切り、36人いた乗組員は全員無事でした。そのまま苫小牧へと向かい、今度は緊急支援の車両や物資を運ぶ役目を担います。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「港には船が着いた時には、緊急車両がかなりの台数集まっていた。乗組員はみんな1台でも多く、できるだけ早くといった感じですね」
あれから11年が経ち、早川さんは一等航海士に昇格。様々な場面で指揮を執る立場になりました。早川さんは震災を経験したことで船におけるリーダーのあるべき姿を再認識したそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「あの時私が感じたのは、当時の一等航海士や船長が、津波を前にした状況になっても落ち着いて指示を出していた。そういう状況でも平常心を保てるならば、的確な指示が出せるということ」
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