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島津亜矢 【流れて津軽】 よされ、秘められた情念の叫び

作詞 松井由利夫  作曲 チコ早苗  本州最果て津軽地方の厳しい風土と
歴史の中で、鼓を打ち、三味線を弾き、歌をうたい、門付けをする盲目の芸人
「坊様」、「ほいど」、「瞽女(ごぜ)」達。その困窮と隠忍、壮絶な生きざま。
盲目であるが故に、物ごいでしか生きる術を持たなかったのでしょう。
その悲哀に満ちた音色と、目の覚めるような洗練されたリズムと旋律は、
聴く人の心に沁み、魂を癒し興奮と陶酔の世界に聴衆を誘うのでした。  

男の門付け芸人「坊様」によって編み出され、それは名も無き「ほいど芸」と言われ、津軽の方言であり、物乞い乞食を意味するものでありました。
世間に放り出された盲人達は、物ごいの生活でしか,生きる道はなかったのです。
客に喜ばれなければ、その日の糧にもありつけないと言う絶望的な境遇の中での物ごいは、粗末な三味線を激しくかき鳴らすもので、それは、彼らの胸の奥に秘められた情念の叫びなのです。

坊様達が三味線を弾き唄を歌い、門付けや大道芸をしていた当時でさえ、たんに「坊様の三味」、あるいは「ホイドの三味線」と呼ばれていたにすぎず、三味線音楽としては世間から全く、認知されていなかったのです。
その闇の原因の一端は、津軽三味線が当時の津軽では、ホイド芸と見下されていたからなのでしょう。

また、津軽には凶作の歴史であり、30年に一小凶作、60年には一大凶作という伝説がありました。
津軽の百姓たちは、過去何百年という長い歴史を生きるか死ぬかという境遇をさまよい、そこをくぐり抜け得た者だけが、生き残ってきたのでした。
不運にも生まれて来てしまった、赤子に対しては、仕方なく間引きという手段がとられたのです。
間引きとは、生まれた赤子の呼吸を止め、津軽では「つぶす」といっていました。

この間引きは明治の中ごろまで内密に行なわれていたのでした。
当然であるが人々は、我が子を手に掛けなければならない悲しみや罪の意識から、つぶされた赤子の供養をするのでありました。

この、死者をいとおしむ心情が地蔵信仰を生み、やがて津軽最大の霊場、賓の河原の地蔵尊が、北津軽郡金木新田の川倉に形成され、境内のあちこちでは坊様の供養三味線や、死者との口寄せをするイタコ降ろしなどが行なわれていました。

このように定期的に開かれる縁日は、坊様達のかっこうの稼ぎ場所でもあり、ここに集まる村人達は、貧しき故に止むえず犯した「つぶし」の崇の恐れや自責の念、そして運命の悲しさや凶作の不安など、さまざまな思いに苦悩しているのでした。

こうした村人達のやるせない想いは、坊様が弾く、激しくも哀切に満ちた三味線の音色によって
癒され、ひと時ではあるが精神的開放を受け、慰められるのであります。

凶作のときは、こんな「世」は早く「去れ」。「よ」・「され」 という、
天候劣悪な北国の農民の叫びだというのが定説になっています。
また、そのような寒村では「人減らし・口減らし」も行われており、
この「世から去れ」の意味もあると云われています。

津軽三味線は綺麗な造化であってはならない、常に生命観に満ちた生花でなければならない、
坊様たちの苦労を想い、歴史を偲び、先達の御霊に合掌する心根よりその撥音は発せられるのであります。

♪ よされ よされと しばれて積も~る  雪はおんなの 恨み花~~~♪
島津亜矢姫、胸の奥に秘められた情念の叫び、
魂をゆるがし、興奮と陶酔の世界が渾身の歌と曲となり、今ここに甦ります。

2013年2月15日から3月4日まで 島津亜矢姫"初の"座長公演 "
【獅子の女房】~坂田三吉の妻・小春の生涯~が
大阪・新歌舞伎座で行なわれるのが今から楽しみです。
皆様により一層愛され親しまれる、歌手島津亜矢姫をめざし精進を積み重ねることでしょう。
そして、島津亜矢座長公演を期に、今後新たなる飛躍発展を期する決意のもと、
大きく変貌を遂げていくことが期待されます。

Видео 島津亜矢 【流れて津軽】 よされ、秘められた情念の叫び канала kabukimedakabenkei
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16 марта 2012 г. 17:47:32
00:03:09
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