Tp214 新田一郎 GAIKOTSU NO ODORI
新田 一郎(にった いちろう、1954年5月2日 - )は、日本のミュージシャン(管楽器奏者)、音楽プロデューサー。
芸能プロモーターであり、かつて存在した芸能事務所・代官山プロダクションで代表取締役社長を務めていた。プロデューサーとしての表記はNITTA MAN。作曲家活動などでは新田イチロー、新田ヨロシク一郎、Mr.NEEの名義を使用することあった。奈良県奈良市出身。
渡辺プロダクション専属のトランペット奏者としてデビュー。伊丹幸雄のバックバンド「ロックンロール・サーカス」から、あいざき進也のバックバンド「ビート・オブ・パワー」、その後キャンディーズのバックバンドも務めた「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」での活動を行っていた。
自らのユニット「ホーン・スペクトラム」を結成(初期メンバーは新田・兼崎順一・中村哲)し、キャンディーズの元マネージャー・大里洋吉が原田真二をマネジメントするために設立した芸能事務所・アミューズに所属した。1977年には「ホーン・スペクトラム」名義で、「サーキットの狼」のイメージソング「裕矢のテーマ」をシングル発売。引き続きキャンディーズのサポートをMMPと行いながら、当時アミューズの新人バンドだったサザンオールスターズの編曲も担当しており、「勝手にシンドバッド」などの楽曲で、「ホーン・スペクトラム」の一員として管楽器でレコーディングやライブに参加していた。
キャンディーズ解散後、1979年に「ホーン・スペクトラム」を発展させた「スペクトラム」を結成し、8月25日にデビュー。レイバンのサングラスをかけ(ライヴでは外している時もあった)、右手を耳元あるいはマイクに当てて非常に高いファルセットで歌い、トランペット吹奏時は身体を揺らしながら吹くのが特徴であった。
スペクトラムの解散後は、ホーン・スペクトラムを率いてのスタジオワークや、作・編曲、プロデュース、振り付けなどの活動を行う傍ら、ソロアーティストとして、レコード会社を二度変えながらも6枚のオリジナルアルバムを発表していた。
1985年にアミューズからの暖簾分けで芸能プロダクション「代官山プロダクション」を設立し、以降は爆風スランプや嘉門達夫などを所属させてのプロデュース業や、テレビ・映画音楽などの作家活動に専念することになる。自身のアーティスト活動停止に際し、「演奏者としての新田一郎ではなく、アーティストであり、表現者としての新田一郎が唯一存在できる場所、それがスペクトラムだった」ことに気が付いたと、後に発売されたベスト・アルバムのライナーノーツで書いている。以降は長らく表舞台には出てこなかったが、2008年4月4日に行われた「キャンディーズ・チャリティー・カーニバル」へ出演した。この時は久々に、兼崎・西慎嗣・渡辺直樹らスペクトラムの元メンバー達と同じステージで演奏し、トレードマークでもあった「トランペット回し」も披露した。
2009年10月、代官山プロダクションと子会社のレコード会社「DAIPRO-X」が倒産し、プロデュース業を含めて一切の沈黙が続いたが、2013年、専門誌『SAX&BRASSマガジン』vol.27 2013summer号(リットーミュージック)のスペクトラム特集記事で元メンバーの兼崎順一、吉田俊之と共にインタビューと写真が掲載された。現在は新規の芸能事務所「ナラド・エンタテインメント」にて社長業に復帰している。
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#トランペット
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Видео Tp214 新田一郎 GAIKOTSU NO ODORI канала YARUNARA888
芸能プロモーターであり、かつて存在した芸能事務所・代官山プロダクションで代表取締役社長を務めていた。プロデューサーとしての表記はNITTA MAN。作曲家活動などでは新田イチロー、新田ヨロシク一郎、Mr.NEEの名義を使用することあった。奈良県奈良市出身。
渡辺プロダクション専属のトランペット奏者としてデビュー。伊丹幸雄のバックバンド「ロックンロール・サーカス」から、あいざき進也のバックバンド「ビート・オブ・パワー」、その後キャンディーズのバックバンドも務めた「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」での活動を行っていた。
自らのユニット「ホーン・スペクトラム」を結成(初期メンバーは新田・兼崎順一・中村哲)し、キャンディーズの元マネージャー・大里洋吉が原田真二をマネジメントするために設立した芸能事務所・アミューズに所属した。1977年には「ホーン・スペクトラム」名義で、「サーキットの狼」のイメージソング「裕矢のテーマ」をシングル発売。引き続きキャンディーズのサポートをMMPと行いながら、当時アミューズの新人バンドだったサザンオールスターズの編曲も担当しており、「勝手にシンドバッド」などの楽曲で、「ホーン・スペクトラム」の一員として管楽器でレコーディングやライブに参加していた。
キャンディーズ解散後、1979年に「ホーン・スペクトラム」を発展させた「スペクトラム」を結成し、8月25日にデビュー。レイバンのサングラスをかけ(ライヴでは外している時もあった)、右手を耳元あるいはマイクに当てて非常に高いファルセットで歌い、トランペット吹奏時は身体を揺らしながら吹くのが特徴であった。
スペクトラムの解散後は、ホーン・スペクトラムを率いてのスタジオワークや、作・編曲、プロデュース、振り付けなどの活動を行う傍ら、ソロアーティストとして、レコード会社を二度変えながらも6枚のオリジナルアルバムを発表していた。
1985年にアミューズからの暖簾分けで芸能プロダクション「代官山プロダクション」を設立し、以降は爆風スランプや嘉門達夫などを所属させてのプロデュース業や、テレビ・映画音楽などの作家活動に専念することになる。自身のアーティスト活動停止に際し、「演奏者としての新田一郎ではなく、アーティストであり、表現者としての新田一郎が唯一存在できる場所、それがスペクトラムだった」ことに気が付いたと、後に発売されたベスト・アルバムのライナーノーツで書いている。以降は長らく表舞台には出てこなかったが、2008年4月4日に行われた「キャンディーズ・チャリティー・カーニバル」へ出演した。この時は久々に、兼崎・西慎嗣・渡辺直樹らスペクトラムの元メンバー達と同じステージで演奏し、トレードマークでもあった「トランペット回し」も披露した。
2009年10月、代官山プロダクションと子会社のレコード会社「DAIPRO-X」が倒産し、プロデュース業を含めて一切の沈黙が続いたが、2013年、専門誌『SAX&BRASSマガジン』vol.27 2013summer号(リットーミュージック)のスペクトラム特集記事で元メンバーの兼崎順一、吉田俊之と共にインタビューと写真が掲載された。現在は新規の芸能事務所「ナラド・エンタテインメント」にて社長業に復帰している。
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