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Mirko "Crocop" Filipovic - Highlights K1(ミルコ・クロコップ)

ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop、1974年9月10日 - )は、クロアチアの元男性格闘家。ヴィンコヴツィ出身。チーム・クロコップ主催。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。王者。元クロアチア国会議員(2003年 - 2007年)。元警察官でもあり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意。
1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦」でK-1初代王者であるブランコ・シカティックの一番弟子として、ミルコ・タイガー[3]のリングネームで日本格闘技界に初登場。前年GP準優勝者のジェロム・レ・バンナからダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた。5月6日の「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」では準々決勝でアーネスト・ホーストのテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。この試合以降ミルコは師シカティックと決別し、3年間に渡って日本のリングから遠ざかった。その間はアマチュアボクシングの試合にも多く出場しており、その他様々な格闘技を経験している。

1999年4月25日、「K-1 REVENGE '99」に出場し、約3年ぶりのK-1復帰を果たした。ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチとリングネームも変え、ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤに左ストレートで4RKO勝ちを収めた。6月20日には「K-1 BRAVES '99」に出場し、準々決勝でリッキー・ニケルソンにK-1のリングでは初となる右ハイキックで1RKO勝ち。準決勝ではジャビット・バイラミに延長1R判定負けを喫し、GP開幕戦の出場権を逃したものの、怪我人の発生で推薦枠で10月3日の「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」に出場を果たした。マイク・ベルナルドからハイキックでいきなりダウンを奪うと、一気にラッシュを叩き込んで2つ目のダウンを奪って1RKO勝ちし、K-1四天王の1人を倒したことで一躍脚光を浴びるようになる。12月5日の「K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦」では、緒戦の準々決勝では武蔵に2RKO勝ち、準決勝でサム・グレコに2RKO勝ちして決勝まで駒を進めたが、武蔵戦で痛めた脇腹を、続くグレコ戦でも痛めて肋骨を骨折してしまったこともあり、決勝ではアーネスト・ホーストにその部分を徹底的に攻められボディ打ちで3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝に終わった。その後リングネームを現在のミルコ・クロコップに変更している。かつてのやや細身で迫力を欠く体格は見事にビルドアップされ、更にポーカーフェイスの精悍な顔つきも相まって「ターミネーター」のニックネームが定着。この頃から人気と実力を兼ね備えた、次世代を担う選手として注目されるようになった。

2000年3月19日、「K-1 BURNING 2000」で天田ヒロミと対戦。元暴走族と現役警察官の対決だったため、天田は暴走族を、ミルコは警官隊を引き連れて入場するというパフォーマンスを披露した。なお試合は4RでミルコのKO勝ちであった。6月3日にはアンディ・フグのスイスでの引退試合の相手を務める。お互い決定打に欠けたが、手数で勝ったフグに判定負けとなった。少年の頃からフグに憧れていたというミルコは、母国引退となるフグを笑顔で讃えた。 10月9日の「K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA」では、準々決勝でグラウベ・フェイトーザに判定勝ち、準決勝で天田ヒロミに判定勝ちを収めた。このトーナメントのファイナリスト2人が12月の決勝戦へと出場できるため、すでに出場権を手に入れていたミルコは、準決勝で怪我をしたこともあり決勝では無理をせず1R終了後に自らタオル投入によるTKO負けを選択し、決勝の相手マイク・ベルナルドにリベンジを許した。 12月の「K-1 WORLD GP 2000 決勝戦」では準々決勝でアーネスト・ホースト相手に延長まで持ち込むものの、終始試合をリードされ0-3で判定負けに終わった。これ以降両者の対戦は実現せず、ミルコは1勝も挙げることはできなかった。

2001年1月30日、「K-1 RISING 2001」で富平辰文に2RKO勝ち。3月17日、「K-1 GLADIATORS 2001」のピーター・アーツ戦では、序盤にハイキックとパンチのラッシュでめ込むも、後半は膝蹴りを受けスタミナ切れを起こし失速。最後はクリンチ合戦となった末、ミルコが辛くも競り勝ち2-0で判定勝利を収めた。6月16日、「K-1 WORLD GP in MELBOURNE」ではトーナメント初戦でマイケル・マクドナルドと対戦。相手を格下と見て、試合中に腕を回すなどの挑発行為や余裕な態度をとったが、クリンチをして密着した状態でマクドナルドが放ったパンチを顎に受けてグラついてしまいそのままラッシュを受けて1RKO負けし、まさかの初戦敗退となった

2001年8月19日、「K-1 ANDY MEMORIAL 2001」にて、K-1と猪木軍との対抗戦に身を投じることとなり、3分5Rの総合格闘技 (MMA)ルールで猪木軍のエース藤田和之と対戦する。試合は下馬評を覆して、藤田のタックルに膝蹴りを合わせ大流血に追い込み、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。後にミルコはこの勝利が大きな転機となったとコメントしている。10月8日、「K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA」の敗者復活トーナメントに出場予定だったが、9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生の影響で、当時警察官だったミルコは国内待機となり、GP出場は断念したものの、11月3日、PRIDE.17でPRIDE初参戦を果たした。藤田戦と同じルールでの高田延彦との対戦は、高田が試合序盤でミルコにローキックをカットされ右足踵骨を骨折したためリングに腰を降ろしてグラウンドに誘う作戦に出たが、ミルコはこれを拒否し続け、猪木アリ状態のまま試合は終了しドローとなった。ミルコは試合後、激怒し「気分が悪い。高田はチキンだ。」「藤田は本物のファイター。高田は偽者のファイター。」と罵倒している。しかし、後のPRIDEの大会等で記者達から高田が足を骨折していたことを知ると謝罪に近い言葉を述べているようにお互いのわだかまりはなくなっている。そして12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2001」にてプロレスラー永田裕志と総合格闘技ルールで対戦し、試合開始から21秒後には左ハイキック一撃で永田をリングに沈め、「プロレスハンター」と呼ばれるようになった。

2002年1月27日、「K-1 RISING 2002」に出場。K-1ルールで柳澤龍志に1RTKO勝ち。3月3日の「K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA」では前年GP王者マーク・ハントと対戦。試合序盤はハントを翻弄し、3Rに左ハイキックでダウンを奪う。後半はハントのプレッシャーや打撃により逆襲を受ける展開となってしまうが、その反撃をかわし切り判定で勝利した。試合後には笑顔一つも見せずにハントの祝福にも首を振っていたが、この勝利を以って改めて「K-1王者になりたい」とミルコは語った。その一方で総合格闘技への本格的な挑戦も語った。そして、4月28日のPRIDE.20ではMMA4戦目でPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバと対戦。ルールは3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタートという、MMA経験の浅い当時のミルコに配慮した特別ルールとなった。また両者の体重差に配慮して98kg契約だったが、計量時はミルコよりもシウバの方が体重を上回っていた。この試合は「K-1vsPRIDE 頂上決戦」と評された。ミルコの左ミドルキックがシウバの脇腹を抉り、紫色に腫れ上がらせた一方、シウバもミルコから数度のテイクダウンを奪い、スタンドでも手数で上回っていた。試合は規定によりドローに終わる。

再びK-1ルールに舞い戻り、7月14日の「K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA」では、のちのGP王者レミー・ボンヤスキーにパンチの連打で2RTKO勝ちし、GP本戦の切符を手に入れた。8月28日、「Dynamite!」で桜庭和志と対戦。ルールはミルコにとっては初めての5分3R制のPRIDE特別ルールとなった。なお、体重は20kg近くミルコが重かった。2Rには桜庭にテイクダウンを奪われたものの、脱出の際の顔面への蹴り上げで桜庭の右目が腫れ上がり、眼窩底骨折の疑いでドクターストップがかかりTKO勝利となった。その後椎間板ヘルニアを理由に「K-1 WORLD GP 2002」を欠場、長期休暇を取ったこの間に長年交際してきた女性と結婚している。大晦日には「INOKI BOM-BA-YE 2002」にて藤田和之とMMAルールで再戦し、危なげない試合運びで返り討ちを果たした。

2003年3月30日の「K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA」で当時人気絶頂にあったボブ・サップと対戦。体格差に押されるシーンが多かったがフットワークでいなし、左ミドルからのワンツーでミルコのKO勝利。勝利直後、普段はKO勝利してもクールなミルコにしては珍しくリングサイドに駆け上がり、雄たけびを上げた。風邪を引いて高熱でコンディションが悪く、母国クロアチアでは衛星生中継されている重圧から開放されてうれしかったと後に語っている。なお、クロアチアでのこの試合の視聴率は約50%であった。試合後、サップは右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された[4]ため、ミルコは記者から「目を狙ったのか?」という主旨の質問を投げかけられたが、本人は「お前の目はいったいどこを見ていたんだ?」と答えた[5]。これを境にミルコはK-1、キックボクシングからしばらく離れる。

Видео Mirko "Crocop" Filipovic - Highlights K1(ミルコ・クロコップ) канала Art of Fighting
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26 июня 2020 г. 6:13:58
00:04:37
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