『昭和』への祈り/作曲・ピアノ:小笠原貞宗
今から36年前、「昭和」最後の日々を噛みしめながら、私はこの「『昭和』への祈り」を粛々と作曲していた。昭和63年10月から11月初旬にかけての時期だったと記憶する。私はまだ20代後半だった。
Wikiには昭和63年当時のことが次のように記されてある。
「昭和天皇は9月18日に大相撲9月場所を観戦予定だったが、高熱が続くため急遽中止となった。その翌9月19日の午後10時頃、大量吐血により救急車が出動、緊急輸血を行った。その後も上部消化管からの断続的出血に伴う吐血・下血を繰り返し、さらに胆道系炎症に閉塞性黄疸、尿毒症を併発一進一退の状態となった。マスコミ陣もこぞって『天皇陛下ご重体』と大きく報道した。」
この昭和63年9月以降、秋から年末・正月にかけて所謂「自粛ムード」が徐々に社会問題となっていった。お祝い事や大人数でどんちゃん騒ぎをするような振る舞いは、出来るだけ慎んだ方がよいという暗黙の空気が醸成されつつあった。私自身の記憶では、その自粛の空気はむしろ国民の側から自然に沸き起こっていた面もあったように考えている。
このままこの「昭和」という稀有な時代が終わってしまうのかという、今日では説明の難しい不安感。「昭和」が終わったら一体その先の日本はどうなっていくのだろう、という暗闇に取り残されたような気分が、秋の深まっていく日々において私を作曲へと駆り立てていたのだと、今にして思えるのである。
翌年、昭和64年1月7日、日本国民が願った御回復への祈りも空しく、昭和天皇は崩御されたのだった。
曲は冒頭、いきなり最強のクラスターで始まる。
どうしてこんな異常な開始を思いついたのか。実は細かいことはもうほとんど覚えていない。ただ「昭和」を音楽化するに当たって、祖国が最も苦しかった日々の情景、特に戦争末期の原爆は最も象徴的であるがゆえ、冒頭に据えることにしたのだと思う。
昭和20年8月6日広島に原爆投下
昭和20年8月8日ソ連対日宣戦布告
昭和20年8月9日長崎に原爆投下
数日の間に祖国日本が受けたトドメの3つの衝撃。
ここから私の「昭和」のイメージは広がっていった。
天皇陛下の玉音放送、そして終戦。占領軍の登場=マッカーサー占領軍司令官の厚木到着、戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印式。
これら歴史上の風景が次々と目に浮かんできた。
「アメリカ国歌」の後「君が代」が後追いの低音で鳴らされるのは、連合軍監視の下、我が国人が敗戦の事実は受け入れつつも、着々と復興への道を歩み始めていく姿の隠喩である。上に「アメリカ国歌」下に「君が代」の音楽構造はそんな抑圧関係をも象徴していると思って聴いて頂けるだろうか。戦勝国アメリカ何するものぞという、我々日本人の気概は下意識の深くに隠されたのだと思われる。
戦後の経済復興を後押しした大きな要因として、朝鮮戦争勃発による特需があったのは紛れもない事実だが、それ以上に日本国の官民挙げての復興に向けたエネルギーこそ、世界史に残る壮挙だった。
私はこの驚異的な戦後復興を表現するのに、「逆行・君が代」の旋律を使用した。
「逆行・君が代」とは、旋律の最後の音から曲頭の開始の音に向かって逆回しに奏される「君が代」である。『裏声で歌へ君が代』という丸谷才一氏の有名な小説があるが、ここではまさに『逆行で歌へ君が代』となっている。護送船団方式、終身雇用、年功序列といった日本式資本主義経済のメリットを生かし、しかも冷戦下でのアメリカの庇護を巧みに利用しながら「昭和」最後の日々はバブル経済にまで行き着き、世界に冠たる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の地位を謳歌していたのだった。
私自身、大東亜戦争それ自体はもちろん体験していない。終戦から15年以上経ってから生まれているからだ。だが、幼い時から小学、中学時代と成長する日々の中で「昭和」の活力を体全体で吸って生きてきたという実感は残っている。目標と希望に満ちた素晴らしい時代だった。
その激動の「昭和」を戦前・戦後と体現されていた方こそ、昭和天皇という上御一人であられた。
その「昭和天皇」の御代が、まさに今終わろうとしているという歴史的な危機意識の中で、この「『昭和』への祈り」は発想され作曲された。その意味でこの曲は、自分で言うのも烏滸がましいが、ささやかではあるが時代の証言になっていると思う。もう二度とあの時の、あのような思いは体験出来ないし、「昭和」の日本人が経験した喜びも悲しみも今後再現されることはない。この曲を弾くと、今でも『昭和』最後の日々の光景と、それを哀惜の情を以て見送った寂寥感が、淡いセピア色を帯びて蘇ってくるのを感じる。正直、36年も経つと自分が作った曲なのにそうとは思えない部分も感じられるのだ。おそらくもう二度とこんな曲を作曲することはできないであろうと思う。
この翌年、つまり平成元年秋、続編に当たる「『平成』の誓ひ~忘れ難き「昭和」の精神~」を、『平成』の誓ひ~忘れ難き「昭和」の精神~小笠原貞宗Pf. (https://youtu.be/chYC_8c6lTg)
さらにその翌年の平成2年秋には『明治の教へ〜明治国家を創りし武士たちに捧ぐ〜』を作曲した。明治の教へ〜明治国家を創りし武士たちに捧ぐ〜/小笠原貞宗 (https://youtu.be/PRPgjjtIZaE)
3年連続で元号を冠したピアノ曲を作曲していたことになる。
時代の転換期に遭遇するといかに深く影響を受けるものなのか、自分でも不思議に思えるくらいである。
この演奏は、令和6年4月2日、埼玉県熊谷市「くまぴあ」にて収録された。
録音、映像編集は、金井立身氏にお願いした。私の無理な要求を技術的にクリアして頂き、こんなにも素晴らしい作品にして頂いた。
深く感謝する次第である。
令和6年(昭和99年)4月29日 昭和の日に記す
Видео 『昭和』への祈り/作曲・ピアノ:小笠原貞宗 канала かないmovie
Wikiには昭和63年当時のことが次のように記されてある。
「昭和天皇は9月18日に大相撲9月場所を観戦予定だったが、高熱が続くため急遽中止となった。その翌9月19日の午後10時頃、大量吐血により救急車が出動、緊急輸血を行った。その後も上部消化管からの断続的出血に伴う吐血・下血を繰り返し、さらに胆道系炎症に閉塞性黄疸、尿毒症を併発一進一退の状態となった。マスコミ陣もこぞって『天皇陛下ご重体』と大きく報道した。」
この昭和63年9月以降、秋から年末・正月にかけて所謂「自粛ムード」が徐々に社会問題となっていった。お祝い事や大人数でどんちゃん騒ぎをするような振る舞いは、出来るだけ慎んだ方がよいという暗黙の空気が醸成されつつあった。私自身の記憶では、その自粛の空気はむしろ国民の側から自然に沸き起こっていた面もあったように考えている。
このままこの「昭和」という稀有な時代が終わってしまうのかという、今日では説明の難しい不安感。「昭和」が終わったら一体その先の日本はどうなっていくのだろう、という暗闇に取り残されたような気分が、秋の深まっていく日々において私を作曲へと駆り立てていたのだと、今にして思えるのである。
翌年、昭和64年1月7日、日本国民が願った御回復への祈りも空しく、昭和天皇は崩御されたのだった。
曲は冒頭、いきなり最強のクラスターで始まる。
どうしてこんな異常な開始を思いついたのか。実は細かいことはもうほとんど覚えていない。ただ「昭和」を音楽化するに当たって、祖国が最も苦しかった日々の情景、特に戦争末期の原爆は最も象徴的であるがゆえ、冒頭に据えることにしたのだと思う。
昭和20年8月6日広島に原爆投下
昭和20年8月8日ソ連対日宣戦布告
昭和20年8月9日長崎に原爆投下
数日の間に祖国日本が受けたトドメの3つの衝撃。
ここから私の「昭和」のイメージは広がっていった。
天皇陛下の玉音放送、そして終戦。占領軍の登場=マッカーサー占領軍司令官の厚木到着、戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印式。
これら歴史上の風景が次々と目に浮かんできた。
「アメリカ国歌」の後「君が代」が後追いの低音で鳴らされるのは、連合軍監視の下、我が国人が敗戦の事実は受け入れつつも、着々と復興への道を歩み始めていく姿の隠喩である。上に「アメリカ国歌」下に「君が代」の音楽構造はそんな抑圧関係をも象徴していると思って聴いて頂けるだろうか。戦勝国アメリカ何するものぞという、我々日本人の気概は下意識の深くに隠されたのだと思われる。
戦後の経済復興を後押しした大きな要因として、朝鮮戦争勃発による特需があったのは紛れもない事実だが、それ以上に日本国の官民挙げての復興に向けたエネルギーこそ、世界史に残る壮挙だった。
私はこの驚異的な戦後復興を表現するのに、「逆行・君が代」の旋律を使用した。
「逆行・君が代」とは、旋律の最後の音から曲頭の開始の音に向かって逆回しに奏される「君が代」である。『裏声で歌へ君が代』という丸谷才一氏の有名な小説があるが、ここではまさに『逆行で歌へ君が代』となっている。護送船団方式、終身雇用、年功序列といった日本式資本主義経済のメリットを生かし、しかも冷戦下でのアメリカの庇護を巧みに利用しながら「昭和」最後の日々はバブル経済にまで行き着き、世界に冠たる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の地位を謳歌していたのだった。
私自身、大東亜戦争それ自体はもちろん体験していない。終戦から15年以上経ってから生まれているからだ。だが、幼い時から小学、中学時代と成長する日々の中で「昭和」の活力を体全体で吸って生きてきたという実感は残っている。目標と希望に満ちた素晴らしい時代だった。
その激動の「昭和」を戦前・戦後と体現されていた方こそ、昭和天皇という上御一人であられた。
その「昭和天皇」の御代が、まさに今終わろうとしているという歴史的な危機意識の中で、この「『昭和』への祈り」は発想され作曲された。その意味でこの曲は、自分で言うのも烏滸がましいが、ささやかではあるが時代の証言になっていると思う。もう二度とあの時の、あのような思いは体験出来ないし、「昭和」の日本人が経験した喜びも悲しみも今後再現されることはない。この曲を弾くと、今でも『昭和』最後の日々の光景と、それを哀惜の情を以て見送った寂寥感が、淡いセピア色を帯びて蘇ってくるのを感じる。正直、36年も経つと自分が作った曲なのにそうとは思えない部分も感じられるのだ。おそらくもう二度とこんな曲を作曲することはできないであろうと思う。
この翌年、つまり平成元年秋、続編に当たる「『平成』の誓ひ~忘れ難き「昭和」の精神~」を、『平成』の誓ひ~忘れ難き「昭和」の精神~小笠原貞宗Pf. (https://youtu.be/chYC_8c6lTg)
さらにその翌年の平成2年秋には『明治の教へ〜明治国家を創りし武士たちに捧ぐ〜』を作曲した。明治の教へ〜明治国家を創りし武士たちに捧ぐ〜/小笠原貞宗 (https://youtu.be/PRPgjjtIZaE)
3年連続で元号を冠したピアノ曲を作曲していたことになる。
時代の転換期に遭遇するといかに深く影響を受けるものなのか、自分でも不思議に思えるくらいである。
この演奏は、令和6年4月2日、埼玉県熊谷市「くまぴあ」にて収録された。
録音、映像編集は、金井立身氏にお願いした。私の無理な要求を技術的にクリアして頂き、こんなにも素晴らしい作品にして頂いた。
深く感謝する次第である。
令和6年(昭和99年)4月29日 昭和の日に記す
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